部屋に帰れば、すぐにシードは軽く手を振って出て行った。
どうやら忙しいというのは嘘ではないようである。
そりゃそうか、将軍なんだもんなー。
軍隊長とはいえ、戦争の時以外はぶらぶらしている自分とは大差だ。
もうほとんど漆黒に近くなった夜空を窓越しに見つめる。
大きく伸びをして、ふかふかのベットに倒れこんだ。
願。
こんこん。
そんなノックの音に、ついうとうとしていたは体を起こす。
またよく訪問者がくること・・。
そんなことを思いつつ暫く待っていれば、またノックが部屋に響く。
軽く答えれば、控えめに開いた扉。
するり、と現れたのは長い紺黒の髪にくるりとした大きな瞳の少女だ。
肩が大きく開いた赤いドレスなのに、その可愛らしい顔立ちとぴったりなのは流石というか何と言うか。
年相応ではない、大人びた笑顔がこちらに向いた。
「アナタが同盟軍のさん?」
まるで鈴を鳴らしたような声。
くぁーーっやば!まじで可愛いぞこの人!!
意味もなく照れてしまって、声も出さず頷くだけ。
すると少女はくすりと笑って、軽く会釈する。
「わたくしハイランド皇女ジル=ブライトと申します。お召し合わせにと参りました」
皇女・・ということはおいおい。
この人とあのルカは兄弟ってことですか。
に・・似てねぇ・・・。
じっと自分を見つめるに、ジルは少し困ったように眉を寄せた。
それに気付いたは、あははと苦笑して視線を外す。
「それで?お召し合わせって?」
やっとこさ言葉を発したに、口元に手を当てて微笑んだ。
ジルが開けっ放しだった入り口の外に視線を送れば、何人かのメイドが服を着たマネキンを運び入れてくる。
四体ほど並べると、一礼して出て行った。
ぱたんと閉められた部屋の中には、微笑むジルときょとんとする。
「兄様がぜひさんの会食のお洋服を見立ててくれと言われまして」
あー、そういえば、先程そんなことを言ってたなと頭をよぎる。
同時にあの時の恐怖を思い出して、気付かれないように一瞬だけ震えた。
片方だけしか今は付いていないイヤリングを触れば、ジルが苦笑して俯く。
「・・聞きましたわ。兄様がアナタにも剣を向けたと・・・」
両手を前で合わせて、辛そうに呟いた。
さらりとその細い肩に髪が流れて、艶やかな色を放つ。
「兄に代わってお詫び申し上げます・・」
「そんな、いいって。ジル・・さんが悪いわけじゃ・・」
思わずいつもの調子で呼び捨てにしようとしていたのを噤んだ。
すると、くすと少しだけジルが笑う。
「構いませんわ、ジルとお呼びください」
溜まらず、は頭を掻いて苦笑した。
ベットから立ち上がって、ジルの隣に立つ。
小さいその体は、まるで今にも崩れ落ちてしまいそうで。
無理して笑い、見上げてくるジルはとても痛々しい。
きっと、その細い肩には皇女という立場や責任、そし狂王子として名高い兄のことが圧し掛かっているのだろう。
ふ、と息を吐いて、はにっこりと笑った。
「ジルは、お兄さんのこと好き?」
なるだけ明るい声になるように務めて言えば、少し驚いたように目をきょろりと動かす。
多少戸惑っているようだったが、しっかりと頷いた。
「あんな兄ですけど、わたくしにとっては大切な兄様で、心から愛していますもの・・」
「・・そっか。うん、それならそれでいいじゃない。・・なら」
そっとジルの肩に両手を置く。
見て以上に細い肩。
ジルはの次の言葉を待つように顔を上げた。
口元に笑みを乗せて、目を細める。
「信じてやりな、お兄さんをさ。例えば・・どんな人だとしてもね」
例えば、その手が真っ赤に染まっているとしても。
そんな暗黙の言葉に、ジルは俯いた。
震えが触れている肩から伝わってきて、は目を閉じた。
「大切な人を信じてやれなかったことより、後悔することはないよ?」
ふ、とその言葉に視線を上げるジルに微笑む。
すると、やっと強張っていた体と笑みが砕けてなんとなくこちらも安堵してしまった。
「それにさー」
頭の後ろで手を組んで、マネキンの着飾ったドレスを摘み上げる。
くるりと顔だけジルに振り返れば、?といった顔。
しかし先程の悲しそうな顔よりは断然いい。
にっと歯を出して笑い、手に取った生地に口付けて見せた。
「こーんな上等なドレスを着せてくれるなんて、結構お兄さんもいい人じゃない?」
おどけて言って見れば、ジル弾けた様に笑顔を浮かべる。
「ふふっ、そうですわね」
まるで花が咲き零れるようなそれは、可愛いことこの上なくて。
よかった、と素直に思う。
こんな可愛い子があんな悲しい顔ばかりをするなんて可哀想だ。
「あ・・時間が無くなってしまいますね、お着替えしましょうか」
ジルの綺麗な手がの肩を押してドレッサーの椅子に座らせる。
鏡越しに微笑むジルは、本物よりも少し大人びて見えた。
片耳だけについていたイヤリングを外しながら、話す。
「・・でもなんで兄様がさんをお気に召したのか判ったような気がしましたわ」
「・・・気に入られてるの?あたし」
「ええ。だって兄様がお母様とわたくし以外を食事に誘うなんて初めてのことですもの」
ふかふかの椅子は座りにくくて、ちょっと移動。
鏡の中で交わす会話はどこか遠い。
気に入られてる、と言われたは内心戸惑っていた。
実際どうだろう、単に楽しんでいるだけかもしれないし、本当に気に入ってくれてるのかも。
しかし自分のせいでこれからの同盟軍に損害を与えるのは壮絶に嫌だ。
例えば捕虜という立場から、人質となってしまったとしたら。
きゅっと唇を噛むに気付いたのか、ジルが不思議そうな顔をしていた。
いけないいけない、と首を振って、渡されたドレスを手に取る。
「こりゃまた綺麗なドレスだね」
手触りがなんとも心地よいそれは、普段の自分とは不釣合いなデザイン。
しかし最初に部屋に運ばれた時から、自分も着るならこれがいいと思っていたものだった。
「兄様が好きな色ですし、なによりさんに一番お似合いなのはこれかと」
好きな色・・ああ、そういえば甲冑白だったなルカ兄様は。
カットソーになっている袖を持って、自分の体に当ててみた。
サイズはぴったりの様で、一度くるりと回って見せる。
「可愛い?」
にやり、と悪戯な笑顔を向ければ、口元に手を当ててジルが笑い頷く。
「そうですわ、あとこれを」
す、と両手を伸ばしてきて、パチンと耳にイヤリングを付けられた。
ちょっとした圧迫に目を細めながら、鏡で耳元を窺う。
揺れるシルバーの装飾に、ワンポイントのルビーの輝き。
なんとも綺麗なそれに釘付けなっていると、ジルが後ろから覗き込んできた。
「それ、わたくしからのプレゼントです。ぜひ会食にも付けていらしてくださいませね」
「え、いいの?こんな高そうなもの」
言ってから、ハイランド皇女に何値段のこと言ってるんだかとか思ったが、
ジルは穏やかに微笑んで、大きく頷いた。
「会食、楽しみにしておりますわ」
見上げてくる瞳に、にっこりと笑って、貰ったイヤリングを揺らしてみせる。
「こちらこそよろしくね」
最初は会食に乗り気ではなかっただったが、
このジルも一緒なら、まだ楽しめるような気がした。
鏡の前に座り込んでいたヤム・クーは、ふと顔を上げた。
本拠地の大扉の奥に見えたのはもう暗闇で。
ちらちらと光る星も、なんだか綺麗には見えない。
周りにいた仲間達もその場に座り込んでの帰りを待っていた。
しかし最初のそれより人数は増えていて、なんだか自分まで嬉しい。
と同時にちょっとした嫉妬感もあったけれど。
くすと自分で笑って、立ち上がると、自分の背丈ほどの鏡にまた触れた。
そういえば、今日はと一言も話していない。
いつもは習慣的に船着場でたわいもない話をして、夕食をたまに一緒にとったりして。
毎度長い時間な訳ではないが、必ず毎日言葉を分け合っていたのに。
ぎゅっと鏡に置いていた手で拳を無意識に作ってしまっていた。
「さん・・・」
「!?」
ジルが部屋を出て、ドレスのチャックを閉め終えたその瞬間。
明かに後方から空耳ではない声が聞こえた。
は勢いよく振り返って、そこにあった自服をごそごそと探り出す。
先程も聞こえたのは、やはりこの服の中からだったからだ。
上着の右内ポケットに手を入れた時、こつんと手に何かが当たる。
取り出せば、手の中にすっぽり入ってしまう大きさの手鏡。
部屋のあちこちにある蝋燭の光をやんわりと反射する。
「・・・・わ・・・忘れてた・・」
そういえば昨日、ビッキーから瞬きの手鏡を預かっていたのだ。
おそらく他の荷物は没収されても、
これはただの手鏡と思って取り上げなかったのだろう。
それにしても。
確かにこれから先程声が届いたのは間違いない。
いや・・もしかしたらはっきりしすぎな空耳なのかも、ほんとに。
ははは、とあながち冗談に聞こえない言葉に乾いた笑いを浮かべながら、鏡をぎゅっと持ち直した。
あちらから伝わるということは、こちらからだって可能かもしれない。
ごくり、と何故か緊張しながら、口をゆっくりと開いた。
「も・・もしもーし?」
「!さん!?」
いきなり声をあげたヤム・クーに、周りの仲間も一斉に立ち上がった。
「おい!がどうしたって?」
「ちゃんからなんかあったの?」
わらわらと鏡の周りに集まってきた皆に、ヤム・クーは軽く頷く。
ビクトールが同じ様にぺた、と鏡に触れた。
「おい?聞こえるか?」
返答をまって、一同静まる。
『・・・・あー・・熊ー?』
返って来た間延びした声に、鏡に触れていた男二人は顔を見合わせた。
同時に、ずる、と安心して脱力する。
周囲の仲間にも苦笑いで頷けば、ほっと安堵が広がった。
何はともわれ元気そうで、緊張の糸が少し緩む。
「・・それで、今さんは何処にいるんですか?」
『え・・えっとー・・最初にルがついて、最後にエがつくところー♪』
あはは、と苦笑している姿が声でなんとなく想像できた。
ビクトールが頭を掻いて、ため息を漏らす。
「やっぱルルノイエかい・・・。それでお前は無事なんだな?」
『まあね。悪い悪い心配かけて』
「まったくです・・」
側から何を話しているのかは、鏡に触れていない人には聞こえなかったが、
2人の言葉や表情から、悪い状況ではないことが見て取れた。
「それじゃ早く帰ってこいよ、今なら一人なんだろ?」
ビクトールのその言葉に、は戸惑った。
今抜け出したら会食はおじゃんになる。
楽しみにしている、と言ったジルの笑顔が頭を過ぎった。
それに何故か、ルカの狂気に満ちた顔も。
『・・・さん?』
答えないを不思議に思ったのか、ヤム・クーが声をかけてくる。
ゆっくりと息を吸い込んで、吐き出した。
鏡を強く握って、瞳を閉じる。
「・・・悪い、まだ帰れない」
『はぁ!?』
鏡の向こうで、ビクトールとヤム・クーが見事にハモッた。
『なんだよ!やっぱやばい状況なのか!?」
心底心配そうなビクトールの声に目を開け、下唇を少し噛んでまた口を開く。
「そうじゃないけど。ちょっと確かめたいことがあってね」
『確かめたいことってなんだよ・・』
戸惑っている声が聞こえて、は苦笑した。
コツ、と鏡を叩く。
「大丈夫だって、危なくなったらすぐ帰るから」
この鏡で、と付け足すに、呆れたようなビクトールのため息が聞こえた。
きっと頭でもがしがし掻いてるんだろうなぁとか思う。
『・・ん?・・おいヤム・クー?』
「?」
そんなビクトールの不思議そうな呼びかけにが眉を顰めた瞬間。
がんっ!!!と鏡を強く殴った音が伝わってくる。
まるで衝撃まで届きそうなそれに、はきょとんとした。
『馬鹿じゃねぇのかアンタは!!』
いきなり激しい怒声をあげたヤム・クーに、一同呆然とする。
それもいつものような穏やかな口調ではない。
『なっ!!いきなり馬鹿とはなによ!!』
戸惑いながらも反論するに、鏡を睨みつけるヤム・クー。
「そこは敵国のど真ん中なんですよ!!確かめるとかそんなこと言ってる場合じゃねぇだろ!!」
『だからってなぁ!!』
「お・・おい、二人共落ち着けよ」
隣のビクトールが言っても、効果は無い様で。
そんなただならぬ状況に、周りもざわつきだした。
「・・・」
『・・・』
お互いに黙ってしまって、言葉がない。
ヤム・クーは一度息を詰めると、鏡を殴った手をゆっくりと解いた。
両手を鏡に付いたまま頭を垂れ、深く息を吐く。
「・・・・・・・心配なんです・・」
まるで搾り出したような声に、は思わず言葉に詰まる。
何か言おうと口を開くが、一度閉じた。
そうしてまたゆっくりと開く。
「・・ごめん。でもちょっとだけわがまま許してね」
それだけを言うと、鏡をコトリと裏にして机の上に置いた。
繋がりがふと途絶えて、一瞬だけなんだか心もとない。
ドレッサーの鏡に映る自分は、なんとも情けない顔をしていた。
気合いを入れるために頬を二、三回軽く打って、目の前の自分を睨みつける。
「・・・確かめたい・・って、自分で言ったけど意味わかんないよな・・・」
何、を確かめたかったのか。
はっきりとは判らなかったが、この会食に出なくてはという漠然とした予感のような。
そんなものがあったから。
「・・帰ったら、暫く怒ってるんだろうなぁヤム」
苦笑して、目を閉じる。
その時、コンコンとノックが響いて、扉が開けられた。
「お迎えに参りました。会食の時間です」
鏡に映り立っていたのはクルガンだ。
もう一度目を閉じて深呼吸をすると、きゅっと気を引き締め振り返る。
にこりと笑って自分を見ると、クルガンがよくお似合いですよ、と零した。
それに笑顔で返して、伸ばされた手をそっと受け取る。
そっと瞬きの手鏡をポケットに忍ばせて、誘われるままに部屋を出た。
ぶつりと途絶えたの声にヤム・クーはただ黙っていた。
ビクトールは周りの仲間に完結に状況を話す。
するとなんとなく異様な静けさがあたりを包んで。
しかし、ぱたむ、と読んでいた書類の束を閉じた音が響いた。
シュウは皆の視線を受けながら、寄りかかっていた壁から体を離し、すたすたとその場を離れようとする。
溜まらずビクトールがその腕を掴んだ。
「なんだ」
掴まれた腕が痛いのか、不機嫌そうに睨みつけてくる。
「なんだじゃねぇだろ、何処行くんだよ」
こういう時こそ軍師であるシュウが何か言うべきであろうに。
「・・・自室に戻るに決まっている。仕事は腐るほどあるんだ」
「・・こんな時にも仕事かよ」
眉を顰めるビクトールに、ため息を零す。
腕を軽く払うと、皆に視線をめぐらせた。
「あいつは大丈夫だと言ったのだろう?なら嫌でも帰ってくる」
ちらりとこちらを向いたヤム・クーに、シュウが鋭い視線を向ける。
「大切なら信じろ」
それだけを言い残すと、くるりと踵を返してエレベーターに乗り込んでしまった。
ぽかんとしていたビクトールが、顔を崩し、困ったように頭を掻く。
皆もその言葉に安心したのか微笑んで、そうだよな、と言葉を交わしだした。
脱力して、鏡を背に座り込んでしまったヤム・クーの隣にビクトールも腰を降ろす。
その顔を窺えば、ヤム・クーの顔はなんだか叱られた後の子供のよう。
「やっぱ・・俺って過保護なんですかね・・」
照れているようなそれに、くっとビクトールは喉を鳴らした。
ヤム・クーの頭をわしわし撫でて、を待っている仲間達に視線を向ける。
「仲間はみんなそうだって」
一応俺もな、と苦笑いするビクトールに、ヤム・クーはくすりと笑った。
「そうですね」
next
すいません・・ここが書きたかったとこだったりします一番。
心配で怒るヤムが溜まらないのですよ、自分的に。
というかヤムは人一倍大切な人が傷つくのが嫌いというか、不安に思っているというか。
そんな所があるっぽいので。
つーかジルドリー夢ですかって感じですよね、ハイランダーがあんま出てねぇ・・。
大切なら信じろ、ということをさんとシュウさん両方に言って頂きました。
といっても実際出来ていない場合が多いですよね。私もですし。
でも大切なら、大切だから信じていたいとは思います。
例えば大切な人のその言葉が嘘だったとしても、その信じたいと思った自分の心は本物なんですし。
なんつってね。
願2に戻る。
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