こんな晴れた日には。

 本当ならヤム・クーのところで、ゆっくりするのだけれど。

 ちょっとすぐにはいけない理由があって。
 船着場から少し離れた岩場で湖面に足を預け。
 本当ならヤム・クーの背に預けているはずの自分の背を伸ばした。

 久しぶりの快晴。

 足にひんやりとした感触が心地良かった。
 血を流し腫れ上がった足は、たくさんの細かな傷に熱を持っている。
 湖面を流れる風とともに、水は、優しく足を撫でる。

 久しぶりの快晴。
 快い、暖かな陽光。

 不意に耳を打った足音に。
 首を傾げて振り返る。

「嬢ちゃんよう」
「…なんだ、不良中年か」
 互いに、あからさまに不機嫌さを示して声を紡ぐ。
「ヤム・クーでなくて悪かったな」
「ほんとにね」
 タイ・ホーは軽く舌打ちしての傍の岩場に座り込んだ。
「その足、どうした」
 水面から水中へと目を凝らし、なんでもないかのように問う。
 光が屈折してすら、怪我があるのは明らかだった。
「ちょっと、ね。モンスターに噛まれた」
 のほほんと答えるに。
「…って、おい、大丈夫なのか?」
 少し慌てた様子でタイ・ホーは向き直った。
「毒はないってホウアン先生はおっしゃってた」
 その様子に小さく笑いながら。
「そうか、それならましだが…あんまり無茶するんじゃねえぞ」
 眉間を寄せてぽすっ、と頭をはたく。
 いつもなら「なにしやがる、この不良中年!」とか言いながら突っかかるところだが、不思議とそういう気分にはならなかった。
「んー…なに、タイ・ホー、心配してくれてんの?」
「嬢ちゃんじゃねえよ」
 その返答を諒解する。
「ヤム・クーが怒ると怖えだろうが」
「そうだねえ」
 が怪我をして帰ってくるたびに、突然無言になるヤム・クーの姿を思い出す。
 そしてそのあとしばらく黙ってから、静かに名前を呼ぶのだ。
 その声はいつも静か過ぎて、恐ろしい。
 ちなみにこれはタイ・ホーが怪我をした場合も同様だ。
 結局それは心配の裏返しなのだけれど。
「確かにあれは怖いよね」
 不意に表情は真面目なものとなる。

 タイ・ホーもも、怪我をする。
 戦う限り。
 自分の知らないところで、大事なものを失うかもしれない恐怖。
 ヤム・クーにはそれがある。
 だから、怒る。

 背筋に寒気が走って、はゆっくりと足を引き上げた。
 身体まですっかり冷えている。
「まだちょっと腫れてんな…」
「まあ、別に歩けないほどひどいわけじゃないし」
「まあな…しかし、こうやってると平和だな」
 ふっと空を仰いでタイ・ホーは呟く。
 怪我の心配など、余裕がなければできることじゃあない。
 そのことは、二人ともによく知っていた。
「たしかにいい天気だしね。隣にいるのがヤムさんならもっと嬉しいけど」
 話題を逸らすため、わざとらしく先手を打った、わざとらしい口調に。
「悪かったな」
 特に気にした様子もなく話題転換を受け入れたタイ・ホーから返ってきたのは。
 わざとらしい、盛大な舌打ち。

「今回も怒るかな」
「多分な」

 それを聞いては小さく溜め息をつく。
 怪我をして痛いのは自分だけのはずなのに。

「しかし、いい天気だねー…」
「だなあ…」

 自分達は、ヤム・クーの大切なものを失わせるわけにはいかなくて。
 たちが怪我をするたび。
 ヤム・クーは、大切なものを奪われそうになったことに怒りを覚える。

「理不尽だよねー…」
 子どもみたい、と笑いもせずに呟くと。
「…だけどな、嬢ちゃん。同時に十分、正当なんだよ」
 空を仰いだままタイ・ホーは静かに応じる。
「………知ってるよ」
「…だろうな」

 どのくらいそうしていたかは分からない。
 だが少し日は傾いている。
 今日は綺麗な夕暮れが拝めそうだ、と小さな溜め息ともに思ったとき。
 いきなりタイ・ホーが立ち上がった。
 そしてに手を差し伸べる。
「ほら、いくぞ、嬢ちゃん。靴、はけ」
 何なら負ぶってやろうか?と意地悪く笑ったタイ・ホーに、結構、と冷たく言い放ちながら。
「行くってどこに」
「ヤム・クーのとこに決まってんだろうが」
「えー!?」
「もういい加減、覚悟は出来てんだろう。ついてってやるから、行くぞ」
 こんなに晴れているのに、いつものようにすぐにヤム・クーの元へ向かわなかった理由。
 タイ・ホーがそれを知った上での元に来たのは先刻承知だったけれど。

 怒りを受け止める覚悟を。
 怪我をしているのは自分でも、それ以上に傷付くのが誰か、知っているから。

 は溜め息を吐きつつ、なんともいえない笑顔を浮かべてタイ・ホーの手を取った。
「しょーがない、行きますか」
 立ち上がりながら思う。
 こうやって、ヤム・クーの怒りを受け止められるうちは。

「ねえ。タイ・ホー」
「なんだ、嬢ちゃん」
「なんか平和だね」
「まあな」

 余裕がある。

「途中で逃げないでよ?」
 ぎくり、と背中を震わせたタイ・ホーは。
「…仕方ねえな」
 に手を貸したまま、こっそりと溜め息をついた。

 そう。
 こうやって、ヤム・クーの怒りを受け止められるうちは。

 こうやって。

 理不尽で正当な怒りを受け止めにいくのだ。



end


相互リンク記念に水城冠さまより頂きました!
「わがまま」という題名が一緒なのは本当にびっくりするほど偶然だったのですわ。
頂いた時、私もおどろきました。
私は水城さんの言葉が大好きなんです。
独特の世界観と、独特の心があって素敵なのです。

大切なモノがあって、傍にいると失う不安が絶え間なくあるのに、
それでも、それでも傍にいれるその時だけでも、幸せでいたいと思ってしまう。
むむむ、人ってのは矛盾で出来ているのかもしれないですねー。
大切なのは、触れ合っていたその瞬間のすべてなのかも。
不安も、幸せも、嫉妬も、楽しさも。
すべてをくるんだそれこそが、大切なモノであって、愛しさなのでは。
なんて、なんつー意味不明な感想でしょう・・・(涙)

冠さん、本当にありがとうございました。


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